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肌は内臓を写し出す鏡! 顔を見れば、内臓の弱まりがわかる

2022年7月5日

フェイスマップを知るうえで欠かせないことは、顔にも足の裏と同じくたくさんの反射区があるということです。この顔の反射区を刺激して、フェイスマップは行われます。そこでフェイスマップに関係する歴史もひもといてみましょう。

目次

  • 顔にもたくさんの反射区がある
  • 顔のリフレクソロジーの歴史は古い
  • 東洋医学でも顔と内臓の関連を指摘していた
  • 19世紀ヨーロッパでも顔の反射区に注目
  • 昭和の日本でも顔の反射区を注目していた人がいる
  • アメリカで発達したゾーンセラピー
  • マクロビオティックと望診
  • 足裏リフレクソロジーのブーム
  • ソレンセン式フェイシャルリフレクソロジーの誕生

足の裏にあるように、顔にも「反射区」があった!

足裏に反射区があるように、私たちの顔には反射区があります。顔の反射区という概念と顔のリフレクソロジーの歴史は意外にまだ浅く、約100年前から実践されてきました。

しかし、人は古代から顔を診て心身のコンディションを探り、顔を触って刺激して不調を癒やしてきた歴史があります。

古代から実践されていた顔のリフレクソロジー

紀元前2500年頃の古代エジプトの墓には、リフレクソロジーの施術をする様子が描かれていました。インカ帝国が支配していた南アメリカの地では、病気の予防にリフレクソロジーが用いられていました。

北アメリカのチェロキーインディアンはリフレクソロジーを行って体と心、精神のバランスを保つことの重要性を認識していたそうです。南アメリカのアンデス地帯には、顔の反射区を刺激することで心身を健康に保つ顔のリフレクソロジー文化が根付いています。

東洋医学の最古の書物には、顔面内臓配当図が!

東洋医学では顔には内臓の状態が反射されると考えられ、顔を診て病のサインなどをよみとる「視診」が行われていました。最古の東洋医学の書物「黄帝内経」には霊枢の顔面内臓配当図が記されています。古代から人々は顔の反射区を用いて顔に出ている兆候をよみとり、内臓の状態を判断してきたのです。

19世紀ヨーロッパで発展した顔の反射区マップとリフレクソロジー

14世紀ヨーロッパでは反射区を刺激するゾーンセラピーが行われていました。1582年、アダムス博士とアタティス博士がゾーンセラピーについての書籍を刊行していました。

1890年代のヨーロッパでは、ドイツ人医師アルフォンソ・コーネリウスにより反射区にマッサージを施したリフレックスマッサージが紹介されました。1893年、コーネリウス医師は重い感染症を患い、顔のさまざまなゾーンやポイントを刺激することで自らを治し、4週間で完全に回復しました。そして顔の反射療法(フェイシャルリフレクソロジー)についての最初の論文を1902年に医学月刊誌に発表しています。

1890年頃、ロンドンの神経科医師ヘンリー・ヘッド卿は神経学を研究し、現代の顔のリフレクソロジーの土台を築きました。1898年、ヘッド卿は皮膚をゾーンと捉え、ある部分の皮膚と特定の器官は神経によってつながり、その器官が病気になると皮膚の部分も加圧(圧を加えること)に対して敏感になることを発見しました。その後、臨床研究を経て、ヘッド卿は「ヘッド帯」という顔面内臓反射図を残しました。

昭和30年代に日本国内で顔の反射区を診るという試みがなされた

ヘッド卿の研究をもとに日本では平田内蔵吉という研究者により「12の反応帯」という内臓反射図が提唱され、治療に応用されていました。12の区分は順に気管支・肺・心臓・肝臓・胆嚢・脾臓・胃・腎臓・大腸・小腸・膀胱・生殖器となっています。その後、日本では医学博士の田代儒穫氏により「顔面反射視診法」という書籍が発行されました。

1917年、アメリカで誕生したゾーンセラピーの概念

ウイーンではハリー・ボンド・ブレスラー博士が指圧点を用いて身体を治療できないか、その可能性を調べていました。そのブレスラー博士の研究に出会ったアメリカ人医師、ウィリアム・フィッツジェラルド博士は「鼻や口のある部分を押したり、手の指に圧をかけたりすると、局所麻酔のような効果が得られる」ことを発見しました。博士はアメリカに戻ってこの研究を進め、ゾーンセラピーという概念を確立し、「Zone Therapy or Relieving Pain at Home」という書籍を発行しました。

このフィッツジェラルド博士の功績により、近代のゾーンセラピーとリフレクソロジーはアメリカで生まれたといわれるようになったのです。

リフレクソロジーの母、ユーニス・インガム女史の登場

フィッツジェラルド博士の後、アメリカではジョセフ・シェルビー・ライリー博士により足裏のゾーンセラピーの図が提唱されました。その後、ライリー博士の助手であったユーニス・インガム女史は現代のリフレクソロジーの基礎を確立し、リフレクソロジーの母と呼ばれるようになっていきます。1938年と1945年、「Stories the Feet Can Tell Thru Reflexology」「Stories the Feet Have Told Thru Reflexology」この2冊の書籍により、足裏の反射区マップとリフレクソロジーという名称は一気に広まりました。

その後、1974年、ハンネ・マルカート女史は「Reflex Zone Therapy of the Feet」により、さらなる反射区理論を発表してリフレクソロジーを進化させていきました。

1917年にフィッツジェラルド博士によって確立され、ライリー博士、ユーニス・インガム女史へとつながっていったアメリカのゾーンセラピー及びリフレクソロジー。ここでいうリフレクソロジーは足裏のリフレクソロジーでした。

マクロビオティックの一端、顔の内臓反射視診である「望診」

第二次世界大戦前後、アメリカでマクロビオティックが誕生。東洋医学の陰陽五行理論と食養生をテーマにした壮大な食の哲学です。マクロビオティックの中に顔の望診(顔の内臓反射区の視診)についての理論が盛り込まれました。顔に現れる肌トラブルやホクロ、イボ、シミなどのサインは、そこに対応する内臓器官の弱まりだとしています。

台湾式の足裏リフレクソロジーが一大ブームに

1970年代後半に台湾の教会に布教の為に赴任していたスイス籍のジョセフ・オイグスター神父(漢名:呉若石)は、自分の足裏を揉むことによりリウマチによる膝痛を克服し、足裏健康法を広めました。台湾式足裏リフレクソロジーの広まりにより、リフレクソロジー=足裏というイメージはすっかり定着したといえます。

ベトナム発祥のディエンチャン顔反射療法と
デンマーク発祥のソレンセン式フェイシャルリフレクソロジー

1980年代、ベトナム人鍼灸師のブイ・クォック・チャウ氏は、ディエンチャン顔反射療法、いわゆるフェイシャルリフレクソロジーを開発しました。鍼灸と神経学、西洋医学、リフレクソロジーを融合させたもので、非常に画期的なセラピーです。

それからデンマーク人鍼灸師のロネ・ソレンセン女史により、ソレンセン式フェイシャルリフレクソロジーが確立されました。このソレンセン式にはディエンチャン顔反射療法の理論やヨーロッパで活躍する医師であり鍼灸師の山元敏勝氏の山元式新頭皮鍼メソッドなども取り込まれています。

フェイスマップの背景にある顔の反射区理論と顔のリフレクソロジーは、東洋医学をルーツに、この100年くらいで体系化されて広まり始めました。まだまだ歴史は浅いものの、顔を刺激することの劇的な成果が今、注目を集めています。

特にスマホを1日中手放せない現代人の3大スマホ不調といわれる、不眠、眼精疲労、イライラに大きな成果を上げているのです。顔は神経がたくさん集まっているところ、顔の神経を介して全身へ刺激を送るフェイスマップセラピーは、次世代型のヘルスビューティケアといえるでしょう。